初めましてこのブログを運営しておりますokichiと申します。
ここではプロフィールやなんで歌舞伎を好きになったのか?
なんで浅草なのかを書いていこうと思います。
よろしかったらお付き合いください(*^^)v
運営者:okichi
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自己紹介
アラカン女子です。
歌舞伎を観るようになって20年、浅草に住み始めて18年になります。
出身は関西ですが、出身地と浅草の居住年数はほぼ同じになりました。
音楽と歌舞伎と浅草が好きで、語らいながら飲むお酒はもっと大好きです。
歌舞伎好きになったきっかけは?
1986年6月、20代前半に三代目市川猿之助(市川猿翁)さんの「スーパー歌舞伎ヤマトタケル」を京都の南座で観ました。
「なんだかすごい歌舞伎があるらしい」と興奮気味の友人に誘われて、まだ見ぬ海外の有名バンドを観に行くくらいの感覚で南座に行きました。
その時は「凄いものを観た」という気持ちにはなりましたが、その後も続けて観るというほどでもないまま、時間が過ぎました。
その三代目市川猿之助さんが病気で倒れた際、一門のみなさんが坂東玉三郎さんの協力を得て上演された2004年七月大歌舞伎「桜姫東文章」でずっぽり沼にハマりました。
当時、たしなみ程度に歌舞伎を観始めていた私に、「玉三郎が通しで『桜姫』をやるなんてこの先もうないかもしれないから貴方も必ず観ておきなさい」と命令口調で誘われ、初めての歌舞伎座は二等席でした。
その時に玉三郎さんのお相手役に大抜擢されたのが当時の市川段治郎(現喜多村緑郎)さんで、玉三郎さん演じる桜姫が恋焦がれる悪い男の権助と、前世から結ばれていたとストーカー気味に桜姫を追いかける高僧の清玄の物語。
悪い色男役の段治郎さんがとてもかっこよくて、桜姫が恋焦がれる気持ちがわかりました。
玉三郎さんの相手役というありえないポジションの中、必死でお芝居をされている感じがひしひしと伝わってきてすっかりハマりました。
帰り道は「次はいつ会えるの?」状態で、そこから歌舞伎探究の深みにハマりました。
翌2005年は十八代目中村勘三郎さんが襲名された年でしたので興味深い演目がたくさん上演されたという事もあって、
毎月のように歌舞伎座に行き、国立劇場や松竹座、博多座までも遠征するような生活になりました。
私も歌舞伎はつまらないものと思っていました。
高校生の頃に課外授業で連れて行かれる歌舞伎公演が初めての歌舞伎でした。
地元の会館で行われた「平家女護島 俊寛俊寛」という演目です。
島流しにされた流人の俊寛僧正の物語で、伝統的な歌舞伎演目で。
高校生で、生意気盛りの私には全く刺さりませんでした。
それ以来「つまらない」「歌舞伎は難しい」と思いこんでしまいました。
強引な友達に恵まれ、再び歌舞伎に出会わせてくれたことは感謝です。
ちなみに現在の推しは
喜多村緑郎さん(劇団新派)
市川中車さん
市川團子さん
中村隼人さん
片岡仁左衛門さんと坂東玉三郎さんは別格です。
このブログについて
実は、今現在上演される歌舞伎がとても面白いのです。
十三代目中村勘三郎さん、十二代目市川團十郎さん、十八代目坂東三津五郎さんが亡くなられてとても寂しくなった歌舞伎界ですが、その子供達世代が頑張っていてとても充実しています。
最近の萬屋三世代襲名が象徴するように萬屋(小川家一族)が粛々と充実しています。
そして尾上菊五郎家の襲名に、澤瀉屋親子と一門の頑張り、
観るに事欠かないですし、さらにその孫世代もと考えたら、長生きしなくちゃと思います。
そういう、家の芸、親から子に連なるストーリー、時には親のない子もいます。
だからこそ歌舞伎の面白さを伝えたいのです。
歌舞伎の事を「つまらない」「難しい」「敷居が高い」と思われている方はたくさんいらっしゃると思います。
私も昔はそうでした。
そもそも歌舞伎はお年寄りが観るものとか、劇場の敷居が高いというイメージもありました。
「どんな服装で行ったらいい?」「マナーは?」「何を観ればいい?」と考え込んでしまうこともありました。
でもわかったのです。
「推し」です。
贔屓の役者さんを見つけてひたすらその方を追いかけて行けば大丈夫だと、
そうするうちに中村勘三郎さんや坂東玉三郎さん、片岡仁左衛門さん、中村吉右衛門さん、尾上菊五郎さんなどなど、国宝級の方々がさらなる深みにはめてくださいます。
一歩入ってしまえば探求してもし足りないくらいの楽しさとinterestがあります。
歌舞伎は敷居が高い、つまらないと思っている方にこそ歌舞伎の楽しさをお伝えしたい。
初心者の方には安心して沼落ちしてもらいたい。
それがブログを始めたきっかけです。
これからも観劇を続けるつもりですので、歌舞伎情報をどんどんお伝えしていきます。
浅草のこと
浅草は歌舞伎と縁の深い街です。
現在の浅草6丁目あたりは、江戸時代は「猿若町」と呼ばれていて、歌舞伎発祥の地と言われ、芝居小屋が立ち並んでいたそうです。
現在はその町名も無くなり碑があるだけです。
花川戸助六の「花川戸」は今でも町名として残ってます。
そんな縁で、浅草公会堂で歌舞伎の公演が行われたり、浅草寺境内で「平成中村座」が期間限定で設営されたりと歌舞伎に親しい街です。
そこここに歌舞伎を感じることもできる街です。
そんな浅草に住み始めて18年になるので、浅草の楽しいこと、美味しいもの、について住民目線で発信していこうと思います。
読んで下さる皆様の、歌舞伎ライフがより「ご陽気に」なりますように。